マンスリーイングリッシュサロン 2025年9月 パラオ
公開日:2025年09月09日 最終更新日:2025年09月11日
今回は名鉄電車の大幅遅延というトラブルがあり、講演者の到着が大幅に遅れました。
そこで講演者到着までの時間に、お二人の講師に突発でお願いをし、講演をしていただきました。
先月の子どもワールドレクチャーで講演していただいた内容を今回再び説明していただきました。
右がイタリア出身のフェデさん、左がアメリカ出身のケビンさんです。
子どもワールドレクチャーの講演サマリーは、当ホームページの先月分に掲載しています。
今回の講師はパラオ出身の Lindon Kohamaさん(以下、リンドさん)です。
今回は訪れることも聞くことも少ないパラオについて大変興味深い、また面白いお話をして下さいました。
リンドさんはハワイ大学卒業後、約5年間パラオの政府機関で働いていました。
その後、名古屋大学に留学し、現在名古屋大学の最終年となっています。
名古屋、愛知でただ一人のパラオ人だそうです。好きな食べ物はすしだそうです。
パラオは日本の南方約3000㎢、太平洋の北西部、フィリピン、インドネシアの東方にあります。
日本と時差はありません。
パラオは300以上の島で成り立つが実際に人が住んでいるのは8島。島々、滝、森、山、様々な地形がある。
平均気温は27℃、1年中雨は多いが台風は少ない。
パラオの人口は約18,000人、名古屋大学の学生数に近い。
言語はパラオ語、英語が公用語。ある島では日本語も公用語とされている。
宗教は過去の植民地時代の影響を受け、キリスト教徒が多い。
パラオの国旗は、黄色の丸が月を意味し、水色はオーシャンを示す。写真の建物は政府庁舎。
リンドさんはこの庁舎の最上階のオフィスで仕事をしていたので、毎日素晴らしい景色を見ていました。
1994年10月に独立してから31年の新しい国、民主主義国です。
通貨はUSドル、最も大きな産業は観光。海外からの援助も大きい。
Jellyfish Lake (クラゲ湖)には多数のクラゲが浮遊しているが、人を刺さないので一緒に泳ぎ、
また触ることもできる。
ミルキーウエイの海底は砂ではなく、白い泥になっている。体に着けると全身真っ白。これは美容に良いらしい。
ロック島が多数あり、人は住んでいないが旅行者は船で行くことができる。
サメと泳ぐことができる海もある。ここのサメは人を襲わない。
海中に第二次世界大戦中の船や飛行機の残骸を見ることもできる。
ブルーホールは海中の大きな洞窟。
海中の様々な魚。カメやイルカも見ることができる。
パラオでは稲作はやっておらずコメは輸入する。コメを食べるようになる前は、タピオカやタマを食べていた。
左下ウカエブはリンドさんの好物の一つ。カニの身とココナツを混ぜたもの。リンドさんはこのようなカニ料理を
他では見たことがないので、食べたい方はパラオに来て下さいとのこと。
右下は刺身です。パラオでも食べます。
パラオの食はアメリカ、フィリピン、日本の影響を受け多様性を持ったものです。
パラオの伝統的な衣装。男性は赤いふんどしのようなもの。女性はココナツの葉やココナツの殻で胸部を覆う。
下半身はグラススカートを着る。カラフルな色でそれぞれのファミリーで個別の色を持っている。
男性も女性も腕や足にタトゥーをする。
バイと呼ばれる伝統的な木造の建物。首長たちや村のリーダーたちの集会のための建物。
三角部には伝統的な話や重要な動物、重要な人などが描かれている。
現在の通貨はUSドルであるが、古くはカメの甲羅でできたもの、あるいはマネービーンズと呼ばれる
ネックレスがお金として使われていた。しかし、これらのお金は女性だけが持つものであった。
パラオでは女性がお金をコントロールした。
パラオは女系社会の国であり、女性が重要な役割を持つ。首長になるには女性の許可が必要である。
母方のファミリーと父方のファミリーでは、母方が主導権を持つ。
女性が最初の子どもを産んだ時には、盛大なお祝いのセレモニーが行われる。母となった女性は体に
ウコンオイルを塗り、グラススカートを着て伝統的ジュエリーを付ける。
食事、音楽、ダンスで盛大なお祝いがなされる。
ココナツの葉で作るバッグや籠、板彫り彫刻が伝統的工芸品。
日本人のヒジカタヒサツネは20世紀の初めにパラオに住んだ芸術家、民族史学者、文化保護主義者。
パラオはスペイン ⇒ ドイツ ⇒ 日本の統治を受けた。日本統治下では25,000人以上の日本人が住み、道路、
病院、店舗、学校などを建設し、経済活動も盛んとなった。また教育も推進した。
日本の統治後は約50年間アメリカの統治下となった。1994年に独立し、国際連合に加盟。
日本人ナカムラクニオはパラオが独立した当時の大統領。
パラオ人の10~25%は日本の先祖を持つ。リンドさんは名古屋でただ一人のパラオ人だが、パラオには
約200人の日本人がいます。リンドさんのお爺さまも日本人です。
日本からの旅行にぜひお出で下さい。2015年には平成天皇もパラオに来られました。
日本文化の影響が大きく、パラオの言葉には日本語から生じたものが沢山あります。
地名では、ミナトバシ、シンハトバ、コクサイロード、アサヒベースボールグラウンドなど。
Yasai=野菜、Dengua=電話、Kutsibeni=口紅、Reksi=歴史、Skareter=疲れているなど日本語派生の
パラオ語は多数あり。
その他にも上の絵のとおり沢山あります。思わず日本人が笑ってしまう名前が多数。
さらに仕事の後の宴会は TsukareNaosu=疲れ直す、だそうです。
パラオの外来語の60%以上が日本由来です。
パラオで最も盛んなスポーツは野球です。今年のパシフィックミニゲームでパラオは金メダルを獲得した。
またパラオではカードゲームも盛んで、花札は広く行われている。リンドさんは二つの大会で勝った。
しかし、日本ではまだ花札をする人と会っていない。
日本の歌はパラオでも良く歌われる。昭和歌謡の美空ひばり、千昌夫などが歌われる。
歌詞の中に日本語部分がある。波止場、夜明けの別れ、歳は十七、にこにこ笑うとき、など。
また動画では老人の皆さんが、君が代、蛍のひかりなどを歌う様子が紹介されました。
来月25日から、成田 ⇔ パラオ直通便が就航します。わずか5時間のフライトです。
講演のあと、岡崎から出かけるには成田は時間がかかり不便と伝えました。
すると、セントレア ⇔ グアム ⇔ パラオというルートもあるとのこと。こちらの方が便利でしょうか。
突発的な講演時間の短縮にも関わらず、ぴったりと時間コントロールをしていただき予定通り講演を
終えました。その後、戦時中の両国民の関係、パラオでの語学教育などについて、Q&Aでしっかり
説明してくださいまし。
リンドさん、本当にありがとうございました。
熱心に聴講される皆様。ご参加ありがとうございました。
突発リクエストに応じて、講演してくださったフェデさん、ケビンさんありがとうございました。
(ホームページ担当 人材育成部会ボランティア 中野一男)