マンスリー・イングリッシュ・サロン 2020/11 チェコ
公開日:2020年11月09日 最終更新日:2023年01月05日
| タイトル | マンスリー・イングリッシュ・サロン 2020/11 チェコ共和国 | 
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詳細
|  今月の講師はチェコご出身でYAMASA言語学院にて日本語を勉強されているKarelさん、 | 
|  プラハのご家族は両親と弟2人の3人兄弟。 | 
|  現在は新城市作手に古民家を買って岡崎まで通って見えます。 | 
|  さてチェコの位置はドイツ(青)とポーランド(緑)の南にあるオレンジ色に着色された国。 | 
|  チェコ人のY染色体の分布。ケルト、ゲルマン、スラブ、北欧など多岐にわたるDNAを持った方々のいる国。 | 
|  チェコは四方を山に囲まれた盆地でボヘミア、モラビア、シレジアの三つの地方から成り立っている。 | 
|  国のシンボルは左上と右下がボヘミア、左下がシレジア、右上がモラビア三つの地方を表すシンボル。 | 
|  国旗はチェコの国旗。ボヘミアを表す赤、モラビアを表す白、スロバキアの紋章からとった青。また、青は空を、白は清潔を、赤は自由のために流された血を表すとも。 | 
|  7世紀始めに最初のスラヴ人国家サモ王国(623年-658年)を建国。 | 
|  RIP(ジープ)は最初のチェコ人が定住した神話の丘でチェコ国民の聖地。 | 
|  862年スラヴ人に布教を行った正教会の宣教師キリルとメフォディの兄弟 | 
|  ヴァーツラフ1世は真のキリスト者にして理想の騎士とされる。国と民族を守った英雄。 | 
|  ヴラチスラフ2世は初代ボヘミア王となった(在位:1085年 - 1092年) | 
|  カール4世は神聖ローマ帝国の皇帝、ボヘミア王カレル1世としても著名。文人皇帝として知られ金印勅書の発布やプラハ大学の創設など治績。 | 
|  ご存知のプラハ城 | 
|  フス:聖書だけを信仰の根拠とし、プロテスタント運動の先駆者。カトリック教会はフスを1411年に破門し杭にかけて火刑に処した。 | 
|  チェコの闘将ヤン・ジシュの騎馬像。ボヘミアで1419年に起ったフス戦争の英雄。(カヴィートコフの丘の国立記念館) | 
|  1620年ホワイトマウンテンの戦い:ハプスブルク軍勢力とボヘミアのプロテスタント貴族との間で勃発した戦闘。 | 
|  神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世(在位1576-1612)をローマ神話における豊穣の神ウェルトゥムヌスに見立てて描いている(右の絵)。 | 
|  1618年に起こったボヘミア王国の神聖ローマ帝国に対する反抗。三十年戦争の契機として知られる。チェコにおける民族運動。 | 
|  ヨハネス・アモス・コメニウス(1592-1670)。現代の学校教育のしくみを構想した | 
|  マリア・テレジア:オーストリア大公、ハンガリー女王、ボヘミア女王でハプスブルク帝国の領袖・女帝。 | 
|  ヨハン・シュトラウスが1848年に作曲した『ラデツキー行進曲』は北イタリアの独立運動の鎮圧に向かうチェコのラデツキー将軍を称えた曲。 | 
|  オーストリア・ハンガリー帝国の版図 | 
|  W.トリアーが描いた1914年第1次世界大戦前夜のヨーロッパの政治地図:お互いに隙あらば攻め込もうとしている。 | 
|  チャールズ1世、1916年に即位し、オーストリア・ハンガリー帝国の最後の皇帝。 | 
|  1918年オーストリア・ハンガリー帝国は崩壊。マサリクは1920年に初代チェコスロバキア大統領に選ばれた | 
|  1938年に独仏英伊の4カ国が当事者のチェコスロバキアをを抜きにしてドイツによるズデーテン地方割譲承服。その後ドイツはチェコ、スロバキアをも統治。 | 
|  1948年第2次世界大戦後ドイツから解放されたチェコスロバキアはソビエトを中心とする社会主義国家へ。 | 
|  1989年ベルリンの壁開放の後、チェコスロバキアは流血を伴わないビロード革命で社会主義体制が崩壊、民主化へ。 | 
|  歴史的成り立ちが異なるチェコとスロバキアは4年後チェコとスロバキアへ平和的に分離独立。 | 
|  2004年のEU加盟に77%の国民が賛成 | 
|  チェコ語入門クイズがありました。 | 
|  チェコにはサンタクロースはいません。その代わりリトル・ジーザスという幼児のキリストがプレゼントを運んでくれるそうです。 | 
|  チェコの伝統的な料理:魚のフライとポテトサラダ | 
|  顔のないヤーラ・ツィムルマン は、チェコの劇作家であるズデニェク・スヴェラークが考案した架空の人物として有名。 | 
|  今回からキャパの半分という入室条件が無くなりましたので多くの方に参加いただけるようになりました。 | 
