マンスリー・イングリッシュ・サロン 2021/2 アメリカ ミズーリ州
公開日:2021年02月14日 最終更新日:2023年01月05日
タイトル | マンスリー・イングリッシュ・サロン 2021/2 アメリカ ミズーリ州 |
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詳細
今月の講師はYAMASA言語学研究所で日本語の勉強をされているアメリカ人のBill Gordonさんです。 |
当日は約30名の方がZoomで聴講していただきました。 |
Billさんは2019年11月に62歳でリタイアされ去年の3月に奥さんの則子さんとお二人で岡崎にこられました。 |
Billさんはミズーリ州で生まれ育ち、大学はイリノイ州、そして仕事でテキサス州、イリノイ州、コネチカット州で過ごされました。仕事柄出張が多くアラスカ、ミシシッピー、ノースダコタ州以外の47州を飛び回られたそうです。 |
写真は愛する奥様の則子さんと娘さんのAmandaさん。 |
Billさんはミズーリ州インデペンデンス市で男5人、女1人の6人兄弟姉妹の家庭に育った。一番の思い出はミズーリの自然がいっぱいの祖父母の家で過ごした日々だそうです。 |
ふるさとインデペンデンス市は西部開拓の出発点になった街。 |
ミズーリ出身の有名人は何といってもマークトウェイン。トムソーヤーの冒険、ハックルベリーフィンの冒険は我々も心躍らせて読みましたね。 |
コネチカットにあるマークトウェインの家。45歳から15年ほど住まわれた家、奇想天外な家ですね。 |
もうひとりの有名人はトルーマン大統領。2期目に当選した際、新聞社の誤報で対立候補の共和党Dewaeyの当選が報じられた記事を笑って手に取っている。 |
インデペンデンス市出身のトルーマン大統領は晩年生まれ故郷で過ごしたそうです。Truman高校はBillさんの母校でもあります。 |
高校時代のBillさん、ゴルフに熱中していた。なかなかの好青年。 |
カンザスシティ・ロイヤルズの球場で。 |
カンザスシティー・ネルソン美術館 |
シカゴの大学で学士とマスターを取得。寒くて寒くて、仕事は暖かいところを選ぶと決めたそうな。 |
そしてテキサス州ダラスで財務、監査役としてキャリアーを積む。 |
再び、寒いシカゴへ。 |
次にコネチカット州にある航空機用エンジンメーカー、プラット・アンド・ホイットニーへ。ここでも経理関係の仕事。F35ジェット戦闘機は自衛隊にも配備されてます。 |
仕事をしながら大学でいくつかの修士を取得されたそうです。 |
現代アメリカを代表する5人のお金持ち。4人がIT関係者、ひとりWarrenさんは投資家。 |
アメリカでは上位1%の人が43%の富を持っている。それに比べると日本は11%。先進国の中では富の集中は進んでいない。 |
これからアメリカは更に多様化が進みつつある。 |
大統領選では国を二分化して戦われたが、これからはHope, respect each otherと仰ってみえました。 |
何と岡崎出身の岡村孝子さんの大ファンだそうで、東京、鹿児島、滋賀のコンサートに行かれたそうです。 |
Billさんの研究分野のひとつ、日米交換人形。この写真は1928年に本多市長が今から米国に送られる人形(ミス岡崎)に向かって日米親善に尽くして下さいと激励されているところ。 |
日米交換人形は昭和2年(1927年)に米国から親善のために日本の子供たちに13,000体の人形が送られてきました。そのお返しに58体の答礼人形がアメリカの子供たちに送られました。 |
Billさんはその交流を日本の児童に知ってもらおうと足繁くあちこちの小学校を訪問されています。写真は豊橋市の小学校訪問。 |
こちらの写真は豊田市の小学校で行われた名古屋の劇団うりんこの”日米交換人形”の公演の模様です。 |
Billさんを講師としてお願いした際に日米交換人形を研究していると聞き、ボクの母が小六の時(昭和2年,1927)に学校を代表して書いた手紙が2011年に実家に戻ってきていたので、コピーをお渡ししました。 |
Billさんが靖国神社にある遊就館を訪れた際「特攻隊員の遺書を読んで涙が出た、アメリカ人は神風パイロットを精神異常の人と思っているがそうじゃなかった、ごく普通の人だった。遺書からは家族への愛情が伝わってきた」と。 |
これを契機にご自身で研究を始め、実際の元特攻隊員とか遺跡を訪問されるとともに遺書などを英訳してホームページで公開されています。 |
Billさん、ありがとうございました。 |
せっかく活用したZoomなので、公私に渡ってこれからも活用していこうと思います。 |
BillさんとZoomで事前打ち合わせを行いました。奥さまの則子さんはITの専門家でZoomの使い方をいろいろ教えていただきました。ありがとうございました。 |