20251103安城市桜井地区の古墳を歩く
公開日:2025年11月05日 最終更新日:2025年11月06日
今年の秋の史跡見学会は安城市桜井地区に散在する古墳群を巡る研修でした。
11月3日(月)10:00に名鉄碧海古井駅に29人の会員が集合。
先ず嶋村会長のあいさつ。
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そして今日の講師の荒井さんからご用意いただいた資料を元にルート等の概略説明がありました。
ルートは北から古井地区の塚越古墳、桜井地区の二子古墳、そして小川地区の姫小川古墳の順に南下して桜井駅まで凡そ7kmの歩行。
この辺りの古墳は古墳時代前期にあたる古墳で前方後方墳と前方後円墳が混在、後部に墳墓、前部は儀式を行う方形の場所が置かれていたそうです。
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先ずは三ツ塚公園にある古井戸跡、その昔倭姫命が見つけたと伝えられる井戸。桜井戸、藤井戸、浅井戸と共に三河四名井と言われる。
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次に訪れたのは真宗大谷派 願力寺、佐々木 月樵の顕彰碑がある。氏はこの寺で生まれ、上宮寺住職の養子となり、のち第3代大谷大学学長になった方。

そこから寺の裏に回り細い道を歩いて着いたのが塚越古墳、形態は前方後方墳。碧海台地の縁に立地しているのがよくわかりました。荒井講師によると当時は有力首長の威厳を示すようにどこから見ても大きく見えるように作られたとか。
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次に訪れたのは桜井地区の国指定史跡”二子古墳”、形態は前方後円墳。4世紀初頭の築造。
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ちょっと遅れてしまったので堀内古墳、碧海山古墳を割愛して、お昼休憩を取る櫻井神社へ向かう。
途中交差点から円光寺太鼓楼を拝見。一向一揆の際、本証寺空誓の副将を務め彼の身代わりとなった順正はこの寺の住職。
桜井神社へ到着、皆さん日当たりの良い場所を選んで昼食タイム。当桜井神社は三河三白山のひとつ。
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午後の最初の訪問地は桜井城址、桜井松平家墓所。説明は奥田講師。松平親忠の四男親房から桜井を支配、その後養子となった信定が安城松平と対立したが後代に敗れ家康に従った。
当時の城域はこの近くにある菩提寺という名の桜井松平の菩提寺に至るとの事。
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そして国指定史跡の”姫小川古墳”。講師はふたたび荒井さんへ。
姫とは孝徳天皇の皇女綾姫が配流された場所から名付けられた。形態は前方後円墳、右上にある浅間神社は墳墓の上に建てられている。
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最後の訪問地は「伝内藤重清・清長墓碑」がある真宗大谷派誓願寺。

皆さま、お疲れさまでした。ここで解散、電車の方は桜井駅まで歩きました。