20260408 春の史跡見学会 「井田・大樹寺地区を行く」
公開日:2026年04月08日 最終更新日:2026年04月13日
晴天に恵まれた4月8日(水)、愛知環状鉄道北岡崎駅東に35人の参加者が集い、10時に嶋村会長のあいさつのあと本日の講師奥田副会長より今日の行程の説明がありました。また地元井田にお住いの建築家北野哲明氏にも講師に加わっていただき出発。柿田川緑道を通って井田城跡に向かいました。
![]()
![]()
![]()
最初の目的地、酒井左衛門尉家の井田城跡はこちら側。我々が立っているこの道は昭和になって作られた道、堀はもっと南にあった。
![]()
井田城跡にて~元々酒井氏の館であったが、一向一揆の頃には岡崎城の北の支城(南の支城は土井城跡)へと変化したとの事
![]()
![]()
坂を上って井田野合戦で死没した兵の供養をした千人塚へ、塚周辺で怪異が頻発⇒1475年に念仏堂を建立し霊を鎮魂(西光寺伝)。昭和になっても奇怪現象があり、昭和42年に五百回忌を行った後亡霊騒動が沈静化したとか。
![]()
次は少し歩いて西光寺へ~西光寺は大樹寺に先立ち建立されたとの事。古文書によると西光寺に”松平長親の荼毘所跡”があるとされるが場所が不明、興味ある人は調べて欲しいと奥田講師より宿題あり。北野講師からは西光寺には小さい墓石があちこちに置かれている、織田勢の攻撃で亡くなった兵の墓石かも。
参加者が西光寺墓地で見つけた苔むす墓碑は内藤清長の両親義清(1463-1538)夫婦の墓碑でした。
![]()
![]()
今度は少し下って井田野の戦地跡へ。この辺りには石川家成の荼毘所、酒井忠善の墓所(現タマホーム辺り)、松平親忠の荼毘所が点在。

![]()
鴨田公園で昼食をとった後、大樹寺の東にある酒井家菩提寺回向院へ
そのあと、隣の大樹寺の多宝塔、松平八代墓、山門へ。
奥田講師から大樹寺境内になぜ豊国稲荷があるのか理解に苦しむと、皆さんも首を傾げる。⇒後日、大樹寺に確認したところ町内にあった豊国稲荷を面倒を見る人がいなくなったので、大樹寺に移築し大樹寺で面倒を見ることになったそうです。
![]()
最終目的地、井ノ口砦跡へ。1465年、諸氏がここを拠点に額田郡一揆を起こし、松平氏・戸田氏によって鎮圧された。
この辺りは矢作川の「上の渡」のあった場所、当時は栄えた戦略拠点であったそう。
![]()
最後に荒井幹事と嶋村会長のコメントのあと、ラジオ体操指導士の小林さんによるストレッチ体操で解散。
15:30終了、5時間半の行程でした。講師の方および参加者の皆さまご苦労さまでした。訪問先の詳報は研究会便り66号にて。
![]()