20241127 秋の史跡見学会「萱津宿と甚目寺を巡る」を開催しました
公開日:2024年11月29日 最終更新日:2024年12月02日
11月27日(水) 秋の史跡見学会≪萱津宿と甚目寺を巡る≫をテーマに開催しました。出席者は23名。
10:00 今日の講師役でもある嶋村会長による趣旨とルートの説明ののち、出発。
今日のコースは右上の須ヶ口駅から左の甚目寺までの凡そ6km
最初の訪問地浄土宗堀江山長谷院(ちょうこくいん)の道しるべの前で。境内を中を津島街道が通っている。
多宝塔。水害が多いので石壇を高くしてその上に建てられている。
五条川を渡り清須市からあま市の萱津神社に到着。
宮司さんにより由緒を説明いただく。いわく、日本武尊が東征の際に当地を訪れ領民から献上された漬物を喜ばれ「藪に神物(やぶにこうのもの)」と宣われ、「漬物の神」が祀られるようになったとの事。毎年8月21日には「香乃物祭」を主催されている。
特別に解錠していただき、神殿内を拝見できました。甕の中には”香乃物”が。
日本武尊は当地で妻の宮簀媛(みやずひめ)と会うことができなかったので、この地を”阿波手の杜(あわでのもり)”と呼ばれることなった。妻と会えなかった事を嘆き後世に生まれ来るものは必ず会えるようにと榊を植えて祈願なされた。現在この地に”連理の榊”が互いに寄り添うように社の中に納まっている。<連理:夫婦・男女の間の深い契りをたとえていう語>
萱津神社で持参した昼食をいただき、鎌倉街道を南下する際に東の方に名古屋駅の高層ビル群を近くにのぞむ。(約3km先だそうです)
鎌倉街道沿いにある三つの寺~日蓮宗妙勝寺、時宗光明寺、日蓮宗実成寺を訪問。三河地方のお寺と佇まいがちがうなぁとの声が参加者の中から出ていました。光明寺は豊臣秀吉が幼少の頃預けられたと伝えられている。
下萱津にある実成寺(じつじょうじ)。
甚目寺への道すがら、萱津古戦場跡を訪問。織田信長の尾張覇権のワンステップの戦地であるも少々規模が小さいと感じた。
最終目的地の真言宗鳳凰山甚目寺へ到着。伝承によれば597年伊勢の海人豪族の”甚目 龍麿(はだめ たつまろ)”が当時海であったこの地で観音像を拾い上げ堂を建て安置したのがはじまりとの事。中世になって甚目寺(じもくじ)と称した。
本殿、重文の南大門(仁王門)、重文の東門、重文の三重塔、漆部神社(ぬりべ神社)を拝観し、15:30に解散。それぞれが甚目寺駅から帰途に着いた。凡そ16,000歩の行程でした。