20260520 春の日帰り研修「豊川市牛久保地区を巡る」
5月20日(水)、JR飯田線牛久保駅前に34人の参加者が集い、10時に本日の講師である嶋村会長より挨拶と行程の説明がありました。また、同行していただく地元牛久保の郷土史家河合さんからもご挨拶とともに、ここ牛久保駅は往時の牛久保城内であったとの説明をいただきました。
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最初の目的地は踏切を渡った所にある牛久保城跡、河岸段丘上に位置していることを足で確かめながら8メートルほど道を下って城跡を一周して到着。東三河の雄牧野氏の居城であったところですが遺跡らしいものは碑と地名「城跡」「城下」「大手」だけでした。牧野氏は桶狭間の戦ののち今川氏を離れ徳川家に臣従し江戸時代には越後長岡の大名になって明治を迎えます。
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少し歩いて次は牛頭山大聖寺へ、先ず東に眼を向け眼下の平野とその向こうの県境弓張山地について嶋村さんと河合さんの両者に説明があり、一色城がこの地にあったことが頷けた。そして墓地の一角にある桶狭間で敗死した今川義元の胴塚(胴塚の下部は手水鉢)、および一色時家の墓を詣でました。
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さらに少し歩いて土塁跡を見学、ここでは副会長の奥田さんより牧野氏時代の重臣たちの屋敷の配置~強固な主従関係でなく牧野氏は今川氏配下のリーダー~の意味を伺いました。
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牛久保神社ではご好意で社務所を開けていただき、部屋の中で昼食をいただながら郷土史家である河合さんからご用意いただいた資料を元に説明を伺いました。「うなごうじ祭り」という祭りの所以も伺いました。隣の牛久保生涯学習センターでは越後長岡藩の家訓であり山本五十六の座右の銘「常在戦場」のレリーフを拝見させていただきました。
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食事をした後は、長谷寺にて武田信玄の軍師山本勘助の墓所を訪れました。勘助は大林家に養子に入ったものの嫡男が生まれたため山本家に戻り職を求めて甲州に向かったそうです。まさに人間万事塞翁が馬ですね。
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つぎは光輝院にある牧野氏の始祖ともいうべき牧野成勝の墓および廟所に詣でました。
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午後から小雨が降るという予報は外れカンカン照りの中を終盤の上善寺を訪れ、ここは家康公が長篠設楽原の戦いに赴く時に宿泊し開運の祈祷を受けたとされる寺です。碑には東照神君御陣旧館所とありました。
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最後の訪問地は「熊野神社」です。神社の真ん中をJR飯田線が走り、南北に分断されています。北側にある社殿は牧野成勝が改装、石灯籠は1796年に長岡藩主牧野忠精が寄進したもの。ナギの木も北側に雌株、線路を渡った南側には天然記念物の雄株と離れ離れになったいました。
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ほぼ予定通りの15:30ごろに牛久保駅に戻り、それぞれ帰路に付きました。終日付き合っていただいた河合さん、詳しい説明をいただきありがとうございました。参加者の多くは牛久保ファンになりました。
この情報は、「岡崎地方史研究会」により登録されました。